【爪痕から始まる「言葉の悟る微妙な感覚」とは?】

【017】
おはようございます!
小島です。

本日も
【 あなたを幸せにする「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。

前回の投稿で、
人間は自ら過剰を作り出し、破壊をすることで快楽を得るというお話をさせていただきました。

フランスの哲学者:ジョルジュ・バタイユ
「美しさは凌辱することに快感を覚える」と言っています。

人間というのは、より美しいものを破壊したいと言う欲望があるようです。
初めから「醜いもの」は汚しようがないので、
「ただ醜いもの」だったのか、
それとも、
「元々は美しいもの」だったのか、
相対する2つのタイプによってまったく捉え方が違ったモノへとなっていくのです。

どちらが、どのような捉え方となるのか?

それは、
「ただ醜いもの」のタイプには「ない」
「元々は美しいもの」のタイプには「ある」
ものというように分類ができるということです。

どういうことかをもっと掘り下げます。
それは、「破壊の爪痕」があるのかないのかです。

この「破壊の爪痕」が重要で、ここには物語が成り立つんです。

元々美しかったものを崩したという「物語」に人は魅せられ、そこに快楽を求めてしまうのです。
より強い破壊を感じ取ってしまう。
頭の中で今の醜さをもう一度「美しいもの」へと戻し、
そしてさらにもう一度「醜いもの」へと変化させることで、
より大きな破壊へとはこび、快楽を得ようとする。

そう、わざと自ら「崩す」ことに美しさを見出して快楽を得るのです。

日本には「崩しの美学」なんて言葉もありますよね。
これまでに言われていることは、
“あえて基本を守らない手法でコトを行なっていくこと”
と言った意味で捉えられていると思うのですが、
私は、
「美しいもの」をあえて自らの手で崩し、再び捉え直し再生させる途中に「美しさ」がある。
このような表現なのではないかと、捉えています。

日本の言葉というのは、本当におくゆかしいもので、
「捉え方を規制して、導いていく」と、
「相手に委ねる」ことの絶妙なバランスの上に成り立っています。

「言葉の悟る微妙な感覚」このことが非常に美しく感じるのです。

例えば、
「相手に委ねる」と言っても、完全に手放しにするのではなく、
相手が勝手に想像するように導いてあげる。
あえて、こちら側の主張もせず、
あたかも自分でたどり着いたかのように演出してあげるのです。

全てが「あえて」

あえて、言わず
あえて、わかりにくく
あえて、捉えさせず
あえて、足らずにさせる

「違和感の演出」とでもいいましょうか。

期待と裏切りが、人間を取り込み、そして夢中にさせていくのですね。

人間は言葉の世界に生きています。
ですから決して言葉の世界から出ることはできません。

だからこそ、言葉を取り扱う者には重大な責任が伴うのです。
言葉の世界で生きているという自覚が必要ですね。

では、
言葉の世界の外側とは何か?

それは「本能」の世界です。
人間は、この「本能の世界」からものすごく影響を受けます。
影響を受け続ける「言葉の世界」で生きる私たちは、
「本能」とどう向き合って共存し生きていくのか。

これからますます、
「言葉のセンス」を磨いていくことが重要な時代だと思っています。
自分自身の「言葉」をしっかりと持ちながらいきましょう!

ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!

【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.

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