【目に見えるモノと目に見えないモノ。どちらの集合体なのか?】

【030】

こんにちは!

小島です。

本日も

【 「言葉」との向き合い方 】

についてお伝えしていきたいと思います。

仕事柄よく移動をするのですが、移動手段としては電車を多く使用します。

電車の窓から町並みを見るのが好きなんですが、いつも思うことがあるんです。

特に古い町並みの時、

あの家・ビルを建てた人はまだ生きているのかな?

あの川を整備した人は・・・?などなど想像をしてしまう。

みんな死んでしまっていると思うと恐ろしいんですよね。

でも時が経てば人も古くなり、建物も古くなっていく。

時間が経てば、当然今あるものは古くなっていくのです。

自分の持ち時間って一体あとどのくらいあるのだろうか・・・

「時」が経っていくことは当たり前というか、如何しようも無い現実というか。

そもそも「時」って一体なんだろう?

「時」って思った瞬間から「過去」になってしまう。

フランスの哲学者 : アンリ・ベルクソン

時間とはひろがりをもつ非空間的な空間である「純粋持続」である。

時間と記憶の間

「流れた時間」は過去や経験として「空間化された時間=過去」

「流れる時間」は今現在の一歩先「純粋な本質の時間=未来」

時間とは、出来事や変化を認識するための基礎的な概念。

ときのあいだと書く「時間」

世の中には「目に見えるモノ」と「目に見えないモノ」があります。

「目に見えるモノ」は知覚できるモノ、

「目に見えないモノ」は知覚できないモノということですが、

私たちが生きているこの世界は知覚できるモノの集合体、

知覚できるモノで成り立っているということです。

そして、

「目に見えないモノ」というのは、

知覚できるモノの背後で世界を操っているという風に考えることができます。

この背後で操っている正体が「時間」ではないでしょうか。

例えば時間がない世界を想像できますか?

想像できないですよね。

「時間」とは捉えることが、とても厄介な存在ですが、

先人たちが思考し、体験などをもとに考えだしてくれた、

今や世界で共通認識となっていて時間をカタチとしてくれたのが「時計」です。

知覚の中の視覚を利用することで唯一捉えたことにしています。

そう、人間は「時計」を見ることによって「時間」を捉えたことにしているのです。

目に見えない、カタチのない存在だからこそ捉え流必要があったのですね。

時間という知覚できないモノがない世界もまた成り立たない。

よって、この世界は知覚できるモノ・知覚できないモノの集合体で成り立っているのです。

[アンディ・ウォーホル]

時間について

時折り

時効まで刑に服す

時間を計る

週末

時期を待てば

間もなく

十分に間に合って

合間

度々

一生

時に晒された

時を過ごす

足踏み

時間を稼ぐ

時を刻む

間に合って

直に

休み

タイムと言う

再開

タイムカード

間隔

時差帯

その間

その後

常時

僕にとって最高の時というのは金を使って始末しなくてはならないような問題がない時だ。

あなたは「時」をどのように捉えていますか?

【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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